富山地方裁判所 昭和50年(わ)54号 判決 1981年2月25日
裁判所書記官
村田昇治
本籍
富山市向新庄二四〇番地
住居
同 市向新庄三〇五番地
会社役員
関野功
昭和一〇年二月三日生
本店所在地
同 市呉羽本郷二四五五番地の二
商号
株式会社関野自動車ボデー製作所
右代表者代表取締役
関野功
右関野功に対する所得税法違反、法人税法違反、株式会社関野自動車ボデー製作所に対する法人税法違反各被告事件につき、当裁判所は検察官亀井富士雄出席の上審理を遂げ、次のとおり判決する。
主文
被告人関野功を懲役三月及び罰金八〇万円に、被告人株式会社関野自動車ボデー製作所を罰金二〇〇万円に処する。
被告人関野功において右罰金を完納することができないときは金一万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。
被告人関野功に対し、この裁判の確定した日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
第一 被告人関野功は、昭和四五年ころから同四六年九月三〇日までの間、富山市呉羽町本郷字蒲池二四五五番地の二において、関野自動車ボデー製作所の商号で自動車々体の製作・修理、産業機械及び荷役機械の修理・販売等の事業を営んでいたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、昭和四六年分の実際所得金額が一二六〇万七六四六円(別紙1修正損益計算書参照)、これに対する所得税額は四〇一万六九〇〇円(別紙ほ脱税額計算書参照)であるのに、売上の一部を公表帳簿に記帳せず、また架空の仕入金額を公表帳簿に記帳するなどの不正手段によりその所得の一部を秘匿したうえ、同四七年三月一三日、富山市丸の内一丁目五番一三号所在富山税務署において、同税務署長に対し、所得金額が三〇八万三六六六円、所得税額が二五万三六〇〇円である旨の虚偽過少の所得税確定申告書を提出し、正規の所得税額四〇一万六九〇〇円との差額三七六万三三〇〇円を免れ、もって偽りその他不正の行為により所得税を免れ、
第二 被告人株式会社関野自動車ボデー製作所は、同四六年一〇月一日設立登記され、同市呉羽本郷二四五五番地の二に本店を置き、前同様の事業を目的とするもの、被告人関野功は右被告人会社の代表取締役としてその業務全般を統括するものであるが、被告人関野功は、右被告人会社の業務に関し法人税を免れようと企て
一 同四六年一〇月一日から同四七年三月三一日までの事業年度における右被告人会社の実際所得金額が九〇八万一一八二円、これに対する法人税額は三一五万一三〇〇円(別紙2修正損益計算書参照)であるのに、前同様の不正手段によりその所得の一部を秘匿したうえ、同四七年五月三一日、前記富山税務署において、同税務署長に対し、所得金額が九六万七九二五円、法人税額が二一万六一〇〇円である旨の虚偽過少の法人税確定申告書を提出し、右被告人会社の右事業年度における正規の法人税額三一五万一三〇〇円との差額二九三万五二〇〇円を免れ、
二 同四七年四月一日から同四八年三月三一日までの事業年度における右被告人会社の実際所得金額が二二四九万五五八七円、これに対する法人税額は七九六万六七〇〇円(別紙3修正損益計算書参照)であるのに、前同様の不正手段によりその所得の一部を秘匿したうえ、同四八年五月三一日、前記富山税務署において、同税務署長に対し、所得金額が一二五万九九二六円、法人税額が三一万四八〇〇円である旨の虚偽過少の法人税確定申告書を提出し、右被告人会社の右事業年度における正規の法人税額七九六万六七〇〇円との差額七六五万一九〇〇円を免れ、もって偽りその他不正の行為により法人税を免れたものである。
(証拠の標目)
一 被告人の当公判廷における供述
一 第一一回公判調書中の被告人の供述部分
一 被告人の検察官に対する各供述調書
一 被告人の大蔵事務官に対する各質問てん末書
一 証人西村順子、同半浦隆太郎、同吉岡勉の当公判廷における各供述
一 証人星保雄、同中戸川研一に対する当裁判所の各尋問調書
一 第六回公判調書中の証人半浦隆太郎の供述部分
一 第九回公判調書中の証人摺田義信の供述部分
一 収税官吏作成の昭和四九年一二月七日付脱税額計算書及び同日付付表(判示第一の事実につき)
一 大蔵事務官作成の同年八月二七日付(前綴のもの)証明書(右事実につき)
一 収税官吏作成の同年一二月六日付各脱税額計算書及び同日付付表(判示第二の事実につき)
一 大蔵事務官作成の同年八月二七日付(中綴及び後綴のもの)各証明書(右事実につき)
一 各法人税決議書(右事実につき)
一 登記簿謄本(右事実につき)
一 収税官吏作成の各査察事件調査事績報告書
一 日野敏夫、茂角ひろ子、摺田義信、米田達治及び西村順子の検察官に対する各供述調書
一 日野敏夫、茂角ひろ子、摺田義信及び米田達治の大蔵事務官に対する各質問てん末書
一 桜井清次、小杉一弘(同年八月五日付は謄本)、川崎弘、大崎利三男、松本良隆、池田徳光、大沢直和、日高重敬、杉沢富之助、小林守男、西野栄次郎、松原津二、安藤幸一、仲井務、石田義雄、安田二郎、余川四郎、古池芳雄、川島義史、佐野一郎、堀克次、金川喜久、財津幸吉、岩上清次、松岡勇男、浅野政男、新田義一、宮崎、栗林新正、大砂保、寺本ツタ子、被告人、米田達治、河本武雄、杉本政大、摺田義信、西田勇吉、稲場実、馬場二郎(謄本)、白倉周市及び島田一三の各上申書
一 五十嵐勝男(謄本)、三日市亮三(謄本)、大井義雄、藤田雅久、田畠清光、田畑又二、横山文一、吉野雄二、臼沢昭弘、黒田徹夫、野嶽凡、米田達治、島田清幸、金善鶴忠、村上吉二及び石黒隆純の各供述書
一 松井義昭(謄本)、小杉一弘、岩尾純及び根本八千代の各確認書
一 小川富司の「取引状況の報告について」と題する書面
一 金盛清の「車両の買入等について」と題する書面
一 戸籍の各附票
一 商品物品出入簿による各棚卸集計表
一 押収してある商品物品出入簿五冊(昭和五一年押第五九号の1ないし5)、雑記入帳二冊(同号の6、7)販売原価表一冊(同号の8)、元帳三綴(同号の9、10、11)、固定資産台帳一綴(同号の12)、減価償却と表示ある計算書綴一綴(同号の13)、手形受払帳五冊(同号14)ないし18)、使用済普通預金通帳二冊(同号の19)、売上帳四綴(同号の20ないし23)、仕入帳五綴(同号の24ないし28)、売上統計表一綴(同号の29)、仕入及経費総計表二綴(同号の30、31)、仕入統計表一綴(同号の32)、修理売掛台帳二綴(同号の33)、無題帳二冊(同号の34)、個人より法人引継関係の表示のある橙色ファイル入書類綴一綴(同号の35)、税務関係袋入二袋(同号の36、37)、元帳一綴(同号の38)、受取手形記入帳一冊(同号の39)、使用済普通預金通帳九冊(同号の40)、車輛販売利息計算書綴一綴(同号の41)、使用済領収証袋入三冊(同号の42)、使用済パーソナルチエック袋入二冊(同号の43)、同一冊(同号の44)、領収書綴一綴(同号の45)、無題ノート一冊(同号の46)、所得税青色申告決算書三通(同号の47、48、49)、写真二枚(同号の50)、誓約書一綴(同号の51)、命令簿三冊(同号の52、53、54)、株式会社加藤製作所のHD-350型部品価格帳(一九七八年四月一日版)一冊(同号の55)、株式会社加藤製作所のカトウ15-HB型トラッククレーン部品帖一冊(同号の56)、株式会社ユニツクのUNIC総合部品価格表(昭和四七年四月一日版)一冊(同号の57)、株式会社加藤製作所のカトウNK3型トラッククレーン部品帖一冊(同号の58)、株式会社加藤製作所のカトウNK-7型全油圧クレーン部品帖一冊(同号の59)株式会社ユニックのK-70A型油圧クレーン部品販売価格表(昭和四五年一〇月一日版)一冊(同号の60)、株式会社加藤製作所のカトウトラッククレーン部品帖(NK-10A)一冊(同号の61)、共栄開発株式会社のハンドスクレーバー用部品販売価格表(昭和四二年八月一日版)一冊(同号の62)、KK関野自動車ボデー製作所の極東開発部品価格表(一九七一年二月)一冊(同号の63)、株式会社加藤製作所のHD-350型部品帳一冊(同号の64)、株式会社加藤製作所のカトウNK-18A型トラッククレーン部品帳(社内用)一冊(同号の65)、共栄開発株式会社の共通部品販売価格表総合版一冊(同号の66)、株式会社ユニックのU-200R-B部品カタログ(一九七二年三月版)一冊(同号の67)、株式会社ユニックのU-300R部品カタログ(一九七三年一一月版)一冊(同号の68)、株式会社加藤製作所のNK-18A型トラッククレーン部品価格表一冊(同号の69)、株式会社加藤製作所のHD-350G型部品価格表一冊(同号の70)、株式会社加藤製作所のNK-15型トラッククレーン部品価格表(一九七四年一〇月一日版)一冊(同号の71)、株式会社ユニックのU-200R型油圧クレーン部品販売価格表(昭和四五年四月版)一冊(同号の72)、株式会社加藤製作所の8HCトラッククレーン部品帳一冊(同号の73)、株式会社ユニックの部品価格表一冊(昭和五五年六月一日現在)一冊(同号の74)
(争点に対する判断)
第一検察官の主張について
一 検察官は、判示第一の事実に関して、昭和四六年の期首棚卸資産額を五七〇万二六〇円であると主張するが、その理由とするところはおおむね次のとおりである。
1 右棚卸資産額が五七〇万二六〇円として公表されている。
2 被告人関野功(以下単に被告人という。)は捜査段階において棚卸の除外はないことをくり返し供述している。
3 右棚卸資産額は他の年の棚卸資産額と比較して極めて自然である。
4 被告人の取引先の反面調査の結果明らかとなった仕入状況との矛盾がない。
二 そこで、以下検討する。
右1については、被告人の昭和四六年分所得税青色申告決算書(昭和五一年押第五一号の49)によれば、確かに被告人の昭和四六年の期首棚卸資産額は五七〇万二六〇円として公表されていることが認められる。しかしながら、右青色申告決算書に記載された各種の数字は、検察官が公訴事実第一に関して主張するとおり、被告人が本来の所得税を免れるために計上したものであることもまた明らかであり、右五七〇万二六〇円という数字の根拠となる具体的証拠は何ら存しない。
右2については、被告人の昭和四九年一一月一八日付大蔵事務官に対する質問てん末書などにおいて、被告人は売上除外の多かった昭和四五年といえども簿外在庫はなかった旨の供述をしていることが認められる。しかし、他方で、被告人は右質問てん末書末尾において、これと矛盾する簿外売上に対応する原価として在庫を問題とすべきであると受けとれる供述をするほか、証人半浦隆太郎(第六回公判)などによれば、被告人は検察官の取調段階から、在庫が公表よりもっと多かった旨の供述をしていることが認められる。
右3については、何をもって自然であるとするのか、その主張自体極めてあいまいというほかはない。
右4については、被告人は後述のとおり取引先の帳簿に記載されていない簿外仕入の主張をしているものであるから、取引先の帳簿の反面調査は直ちに検察官主張を裏付ける証拠とはなりえない。
第二弁護人の主張について
一 弁護人は、前記期首棚卸資産額を九三八万八九四七円であると主張するが、その理由は、ほぼ以下のとおりである。
(一) 期首棚卸部品は一一八〇万五一九二円であるが、
その根拠は、次のとおりである。
1 商品物品出入簿五冊(昭和五一年押第五九号の1ないし5)の記載により、昭和四六年期首棚卸部品を合計すると、右の数字となる(但し、単価は後日、部品カタログ等の価格を記載した。)が、証人西村順子は、当時、右商品物品出入簿を継続して記帳していた旨供述している。
2 昭和四四年に、共栄開発株式会社(後に株式会社ユニツクと商号を変更)富山営業所長代理の星保雄、株式会社加藤製作所の渡部某などから大量の簿外仕入等があり、その残りが昭和四六年期首棚卸資産を構成している。これに関しては証人星保雄の供述があり、同年期首に相当多量の在庫のあったことを証人摺田義信も供述している。
3 被告人は、捜査段階から簿外在庫があった旨、右1、2に沿う供述をしている。
4 収税官吏大田成博作成の昭和四九年八月二〇日付査察事件調査事績報告書添付の別表「簿外原価是否認の内訳」によると、重機の原価が正しく把握されていない等の不合理がある。
5 検察官の主張によると、昭和四五年及び四六年の整備サービス部門の売上原価率(人件費を除く。)は、全国同規模水準の業者に比べて異常に低くなり、不自然である。
(二) 期首棚卸商品(商品物品出入簿に記載のない高価な付属品)は八三万円である。
すなわち、昭和四六年七月に大沢商店に対して販売したHIAB五五〇(重機)については、販売に際して重機本体にオレンジ型グラップル六六万円及びローテーター一七万円を仮装したものであるが、右各商品の価格合計八三万円が、同年期首棚卸商品として存在したものである。
右オレンジ型グラップル及びローテーターは、前記渡部某から簿外仕入した。
(三) 期首棚卸資産の割引修正率について
右(一)、(二)については、いずれも簿外仕入を含むものであるところ、簿外仕入価格は、簿外仕入をするに至った理由によりさまざまであって、個々の価格算定は不可能である。
そこで以下の方法により平均的な割引修正率を出すほかはない。
1 商品物品出入簿により共栄開発株式会社関係の昭和四四年分仕入れを合計すると二〇〇一万八七六円となる。
2 岩尾純の確認書によると、右会社の同年の被告人に対する正規の売上は一三〇万三四七九円である。
3 被告人が同年中に、星保雄との不正規な取引等により、同人に対して支払った金額の概算は次のとおりである。
(イ) 富山信用金庫本店より小切手を振出したもの一〇二〇万円
(ロ) 現金で渡したもの隔月三〇万円平均計一八〇万円
(ハ) 同年四月頃、星の特別な理由により手渡したもの七〇万円
(ニ) 星の飲食代等を肩替りして決済したもの月平均一〇万円、計一二〇万円
以上合計一三九〇万円
4 商品物品出入簿のうち、昭和四四年中の共栄開発株式会社関係の不正規仕入分、すなわち右1から2を差し引いた数値は、一八七〇万七三九七円である。
したがって、割引修正率は、次のとおりである。
<省略>
そこで、前記(一)及び(二)の棚卸資産額を合計した数値に右割引修正率を掛けると、九三八万八九四七円となる。
二 弁護人の右主張ことに期首棚卸部品に関する部分について、以下検察官のこれに対する反論を中心に検討する。
1 商品物品出入簿の記載につき、検察官は、ねつ造されたものであるとし、その理由として、<1>証人半浦隆太郎(第六回公判)は「本件査察調査の過程で右出入簿を差押えたが、その記載は昭和四四年三月ないし四月ころまでしかなかったことから、証拠として必要性のないものと判断し、告発の時点で被告人に還付したものであり、そもそも差押えた際、四冊しかなかった」旨の供述をするところ、その差押ラベルにも「43~44」とその内容が昭和四三~四四年度までの記載内容であることを示す書込みがあるなど、国税査察官である右証人の供述は極めて信用性が高いこと、<2>被告人作成の「商品物品出入簿による棚卸集計表」と公表たる各年の所得税青色申告決算書とを仕入金額、期末棚卸額等について対比すると、前者には種々の不合理な点があること、<3>商品物品出入簿の昭和四四年の受入状況を調査すると、その受入れは、同年一〇月から一二月の期間に年間の約六割八分の受入れをしたことになり、修理業という業種からして不自然であること、<4>国税査察官から還付後に記載されたと推定される部分については、摘要欄の記載がない、受入れ・払出しの記帳と同時に残高が算出されていない、月日の記帳もれがある等記載自体に不審な点が認められることを挙げる。
しかしながら、昭和四一年ころから四六年二月ころまで被告人に雇われて雑用から仕入関係及び部品入在庫調べの帳面をつけていたという証人西村順子は、「途中の一年位を除いて商品物品出入簿を記載していた。単価欄や摘要欄等記載のない部分は、単価のわからないものがあったり、被告人から記載しなくてもよいと言われたためである」旨供述するばかりか、同人の検察官に対する供述調書(昭和五〇年二月二五日付、すなわち、被告人の本件期首棚卸資産額についての弁解がなされていたと思われる時期の供述)において、「部品の在庫調べの帳面をつけていた。月末にまとめてつけていたように記憶する。部品の単価は初めはつけていたが、加藤製作所、共栄(ユニック)などの部品のほかメーカー品のイミテーションともいうべき部品を仕入れることになってから正確な値段がわからないこともあって、被告人の指示で単価を入れなくなった」旨の供述をしていることが認められる。右西村の供述、ことに捜査段階において本件期首棚卸資産額に関して被告人の弁解がなされ、商品物品出入簿の記載内容が問題となっていたと思われる時期におけるそれは、これを一概に信用できないと否定することはとうていできないものであり、したがって、昭和四四年以降の分に関しては検察官が<4>で指摘するようにその正確性等に問題がないとはいえないとしても、商品物品出入簿の記載を直ちにねつ造されたものということはできない。なお、検察官は前記<2>において、「商品物品出入簿による棚卸集計表」と公表たる各年の青色申告決算書とを対比しているが、例えば、仕入金額についてみれば、前者の中には部品しか記載されていないところ、後者には重機本件の仕入れ等価格の大きいものが含まれているのであるから、その単純な比較はそもそも困難である。また<3>の一〇月から一二月に受入れが集中して不自然との点については、後記のとおりである。
2 昭和四四年に大量の簿外仕入等があったとの点について、検察官は、共栄開発株式会社の営業所長代理をしていた星保雄はその前年の昭和四三年七月一日付で懲戒免職となっていることが同社の人事関係の命令簿三冊(昭和五一年押第五九号の52、53、54)の記載内容及び右星の後任所長代理となった証人中戸川研一の「私が昭和四三年八月赴任したときには、既に星は辞めていなかった」旨の供述により明らかであるとする。
確かに右各証拠によれば、星保雄が右年月日に懲戒免職となっていることは認められる。しかしながら証人星保雄及び昭和四三年春ころから同四五年七月ころまで前記富山営業所に勤務していた証人吉岡勉の各供述によれば、中戸川着任後も昭和四四年暮ころまで、星は以前と同様右営業所で営業関係の仕事をしていたというのである。そこで、右証人星の供述の信用性についてみるに、同人は、その供述によれば、被告人との間の取引をめぐる支払関係のトラブルから、被告人によって前記富山営業所に置いてあった共栄開発株式会社の部品を棚ごと持去られたことも一因で右会社を辞めざるを得なくなったというのであり、関係証拠によれば、この事実が認められ、なお一〇年近くも前の出来事について同人が被告人のために特にうそを言わなければならないような状況も窺えない。しかも、証人中戸川自体、「星は会社を辞めさせられてからも右営業所に顔を出していた。その星が会社のクレーンを売ったことがある。私と星とは入社が同期で、富山へ赴任後、星の家へは何回か遊びに行ったことがある」旨供述している。これらによれば、昭和四四年中に、星が事実上、共栄開発株式会社富山営業所の営業活動をしていたことを否定することはできないといわなければならない。
なお、検察官は、(株式会社ユニック)岩尾純作成の確認書により共栄開発株式会社の被告人に対する売掛関係についてみると、昭和四四年と同四五年とを比較してその売上高にほとんど変化がないなど、昭和四四年後半に被告人が主張するようなトラブルがあったとはいえないとする。しかし、右については、弁護人が主張するように、昭和四四年には被告人からは一円の入金もされていないなど、両者間に何らかのトラブルがあったともみられるのであって、右の点をもって直ちにその主張の論拠とはなしえないものである。
そして、証人星保雄の供述によれば、同人は、昭和四四年に被告人との間で相当量の部品の不正規な取引を行ったこと、また同年暮ころには、それまでの被告人との取引により被告人に対して多額の債務を負担するに至った結果、前記のとおり被告人によって数百万円の部品棚を持去られたことがあったことなどが認められる。
3 被告人が捜査段階において、簿外在庫のあったことを供述していたことは、第一の検察官主張の項で認めたとおりである。
4 収税官吏作成の前記査察事件調査事績報告書によると、販売した重機の売上原価が正しく把握されていないとの点について、検察官は、右報告書は売上除外に対応する簿外仕入の有無を検討するために作成したものであって、原価がどれだけであるか把握するためのものではないから、右主張は右報告書の意義を誤解したものであり、販売原価表(昭和五一年押第五九号の8)及び無題帳(同号の34)にも弁護人主張のような大量の簿外棚卸資産の記載はない旨主張する。
右調査報告書の趣旨は、同報告書の記載内容等から一応検察官主張のとおりと認められる。しかし、同報告書によれば、例えば昭和四六年についてみると、同一商品であるHIAB五五〇(重機)の売上金額及び仕入金額が次のように異なることが認められる。
<省略>
そして、被告人の当公判廷における供述によれば、右仕入金額の違いは、重機本体のみの仕入か付属品(アタッチメント、オレンジ型グラッブル等)のついたものの仕入かによるもので、右売上金額の違いは、同様、重機本体に種々の異なる付属品をつけたことによるものであること、この付属品は在庫品であることが認められる。販売した重機の付属品の詳細については、弁護人が昭和五三年九月六日付意見書添付の別表で主張するところである。もっとも、同表の付属品と前記販売原価表及び無題帳記載の原価とされるものが必ずしも一致しないことは検察官指摘のとおりであるが、その記載内容からみてこれらの帳簿自体が売上原価の正確な算定を目的として作成されているものとは即断できないから、それだけで弁護人の右主張が理由がないとはいえない。
5 売上原価率が全国同規模水準のものと比べて異常に低くなり不自然であるとの点につき、検察官は、右被告人の捜査段階における「技術者に優秀な者がおり、かつ、メーカーに返品すべき品物を修理して準新品とするなどしていたので非常に付加価値が高くなり、そのために車両の販売部門の売上をほとんど除外して申告することができた」との供述から、修理部門について原価率が低くなるのは当然であって、同業者の原価率との比較は無意味であるとする。
被告人の昭和五〇年二月一〇日付検察官に対する供述調書等によれば、右供述の事実も認められるなど、一概に修理部門の原価率について、同業者のそれとの比較は困難であるというほかはない。
第三結論
一 双方の主張の比較検討
関係証拠によれば、本件所得税法違反における被告人の営業は自動車車体の製作・修理、産業機械、荷役機械の修理・販売等を目的とするものであり、これを修理・サービス部門と機械(重機)の販売部門に分けることができるところ、被告人は主として、右機械等の販売について売上を公表帳簿に計上しないという方法で所得税をほ脱したものであること、右販売に関しては、前記のような付属品を仮装することにより極めて付価価値が高くなり、相当の利益を得ていたものであるが、右付属品等にはかなりの簿外取引によるものが含まれていること、被告人は昭和四四年ころから、右のような方法により相当額の売上除外を行ってきたことが認められ、ほ脱税額の算定に当っては、右付属品等棚卸資産額の確定が重要な意義を有するところ、本件期首棚卸資産額についての検察官の主張は、もともと何ら具体的な証拠に基づくものではなく、前記第一で検討したような問題点のあること、これに対し、弁護人の右に関する主張も前記第二で検討したように、必ずしも疑問がないとは言い切れないが、極めて具体的で、これを裏付ける証拠もあり、虚構として一概に排斥できないこと、以上の諸点に加え、期首棚卸資産額についても、本来、検察官が立証すべきであることを合せ考慮すると、前記弁護人の主張を前提にしてこれを算定するのが相当である。
二 期首棚卸部品額について
そこで、昭和五五年一二月一〇日付商品物品出入簿による棚卸集計表により昭和四六年の期首在庫を集計すると一一七一万五三五七円となるところ、このうちには、単価の根拠の全くないもの(右集計表のうち「単価推定の根拠」、「推定根拠」のいずれも空欄のもの)があるので、商品物品出入簿には、検察官が指摘するように、その正確性に問題があることを考慮して、右単価の根拠の全くないものの合計五五万八二〇〇円を差し引くと、昭和四六年期首在庫は一一一五万七一五七円となる。
三 期首棚卸商品について
収税官吏作成の前記査察事件調査事績報告書及び被告人の当公判廷における供述によれば、渡部某より仕入れた前記棚卸商品八三万円があったものと認められる。
四 期首棚卸資産の割引修正率について
前記第二の一の(三)の割引修正率についても、被告人の当公判廷における供述により、ほぼ認めることができる。もっとも、右供述は検察官指摘のとおり証人星の供述と一致しないところがあり、ことに小切手を振出した理由は、必ずしも明確ではないが、これまた弁護人の主張を全く否定するだけの資料に乏しいものであり、弁護人主張の棚卸資産を前提とする限り、この割引率によるのほかはない。
五 期首棚卸資産額の確定及びこれを基礎とする未納事業税額、実質所得額、ほ脱税額の算定について
1 期首棚卸資産額(前記棚卸部品一一一五万七一五七円+同棚卸商品八三万円)×(割引修正率〇・七四三)=八九〇万六四五七円となる。
2 未納事業税額
昭和四六年期首棚卸資産額八九〇万六四五七円を基礎として、検察官主張の修正損益計算書別紙2の未納事業税の項の算定方式により、これを算定すると(昭和四六年期首棚卸額以外はすべて検察官主張の数字を前提とする。)、三三〇万七五六〇円となる。
3 実質所得額
一二六〇万七六四六円となる。
4 所得税額
四〇一万六九〇〇円となる。
5 ほ脱税額
三七六万三三〇〇円となる。
(法令の適用)
一 被告人関野功
判示第一の所為につき 所得税法二三八条(併科)
判示第二の各所為につき 法人税法一五九条(懲役刑選択)
併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(懲役刑につき、犯情の最も重い判示第二の二の罪の刑に法定の加重)、四八条一項
労役場留置 刑法一八条
刑の執行猶予 刑法二五条一項(懲役刑につき)
訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項但書
二 被告人株式会社関野自動車ボデー製作所
判示第二の各所為につき 法人税法一五九条、一六四条一項
併合罪加重 刑法四五条前段、四八条二項
(裁判官 浅野正樹)
別紙1
修正損益計算書
被告人 関野功 No.1
自昭和46年1月1日
至昭和46年9月30日
<省略>
修正損益計算書
被告人 関野功 No.2
自昭和46年10月1日
至昭和46年12月31日
<省略>
修正損益計算書
被告人 関野功 No.3
自昭和46年1月1日
至昭和46年9月30日
<省略>
修正損益計算書
被告人 関野功 No.4
自昭和46年10月1日
至昭和46年12月31日
<省略>
修正損益計算書
被告人 関野功 No.5
自昭和46年1月1日
至昭和46年12月31日
<省略>
別紙2
修正損益計算書
被告人 関野功
自昭和46年10月1日
至昭和47年3月31日
<省略>
<省略>
別紙3
修正損益計算書
被告人 関野功
自昭和47年4月1日
至昭和48年3月31日
<省略>
<省略>
ほ脱税額計算書
被告人 関野功
自昭和46年1月1日
至昭和46年12月31日
<省略>